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嘘な現実しかない場合の信じるべきものは自分のGood

疑問

ある会社の説明会に参加した学生の話。

 

なんだか、社名を聞いていても周りの学生やネット上の評価がとても良いらしいし、なんだかwebサイトもかっこいいし、すごそうだな。

 

と思い参加。

 

「私たちは、人の意志を尊重し〜」

 

と、「おっこの人たちはとってもとってもいいことしてるんだな」と普通思う。

やっぱり、ブラック企業とかあるけどさ、こうやって自由にさせてくれるところっていいよな!って思う学生。

 

君はこうあるべきだし、こうなりたいんだろう?と、後日○万円のセミナーを紹介された学生。

 

学生の心情「このセミナーを受けなくては自分は成長しないのか...」と追い込まれる。

 

しかし、企業は「決めるのはあなたです。○万円は分割でもお金が入った時でもいいです」という。

 

学生は疑念が拭われ、「行きます!」と答えセミナーに参加を決意。

 

企業は「本人の意思で決めてことだ。そのスタイルです」という。

 

学生「自分で決めた。気持ちいい」

企業「学生が自分の意思で決めた。気持ちいい」

 

でも僕は、気持ち悪く感じる。

これは、その思考にまで持っていくという「意思の矯正」なのではないか。

 

虚の意思によって決めたことに気持ちが良くなり、虚を現実として本人が決めたと言い張る。

 

そんな気がしてならない。

そしてそんな虚が現実となった

正当化された正義が、

世の中に溢れてる気がする。

 

と、世間の報道や会社のあり方として思ったりもしてる22歳のこの頃です。

 

そんな時に信じたらいいのは、

他者のGoodではなく

自分のGoodなんだろう。

 

主観しか生きられないこの世の中。